こんにちは!澤田(@bonbonbondo)です。
今回、友人の紹介で、カラカスにあるJM LOS RIOSという子ども病院の中に入り、実際にそこに入院する子どもや、その親とお話しする機会をいただきました。その時の様子をここに記したいと思います。
★この記事はこんな方へ
- カラカスの医療事情を知りたい
- <カラカスに闘病生活を送る家族の様子を知りたい/li>
※もしこの記事を読んで、子どもたちを支援したいというご希望があれば、僕のTwitterからご連絡ください。友人を通して、何かできることがあるかもしれません。
※2019年8月現在も、ベネズエラの治安は完全に安定したわけではありません。渡航をする際は、信用できる現地のパートナーを見つけ、情報収集をすることをお勧めします。
そもそも病院に行った経緯、実際に病院に行くまで
カラカスの病院の様子見てみたい?子ども病院に行って、実際に子どもに合わせて上げれるよ。絶対、いい経験になると思う。
カラカスの友人からこの様な言葉をいただきました。彼女自身は、この病院で入院していたわけではなく、また子どもがいるわけでもありません。しかし、彼女は「人々の人生を絵にする」という企画で、この病院の子どもたちに絵をかいてもらったことがあるそう。その時のコネで、この病院に行き来できるんだとか。
突然ですが、みなさんのベネズエラのイメージってどんな感じでしょうか?
- 食べ物がない
- 衣料品がない
- 水がない
- 大規模な停電
こんなイメージを持っている方も多いと思います。それもそのはず、2019年初頭、元マドゥロ政権と米国の間で衝突があり、マドゥロはコロンビアとベネズエラの国境を閉鎖したことがあります。
元々深刻な物資不足だったベネズエラ。マドゥロが国境を閉鎖したときは、米国などからの支援を「米帝による侵略戦略」の様に切り捨て、一切受け取らなかったことがあり、その際にニュースは上記のことを伝えるものが多かった印象。
僕もニュース、特にラテンアメリカのニュースをよく読んでいたので、上記のイメージを持っていました。
正直、ちょっと怖いもの見たさで興味を持った彼女からの提案。
もちろん、一つ返事で行くことを決めました。
ただ、そのあと食あたりをして、何日か延期してしまい、その間に彼女が新たな仕事を確保。もともと彼女と一緒に病院を回る予定でしたが、彼女の紹介で、病院に入院している子どものお母さんが、病院に招待してくれることになりました。
当日、手ぶらで行くのもなんだし「仲良くなりたいときは食べ物を渡すんだ!」というブラジル人の親友の言葉を信じ、バナナを1.5kgほど買い病院に向かうことに。
病院は、Mellas Artesというメトロのすぐ近く。カラカスは治安が悪いので、街中でスマホのマップを開くのは厳しいです。途中途中、人に道を聞きながら向かいます。
一度、正門と裏門を間違えて面倒くさいことにはなりましたが、なんとか正門に到着し、子どものお母さんと合流完了。早速、病室に向かいました。
行く前の病院のイメージ
実際に病院の中の話をする前に、僕が病院に行く前に持ってたイメージを。
- 医薬品が足りてない
- 医療施設が一世代前
- 電気、水のインフラが整っていない
- 衛生環境が良くない
- それでも金持ちしか行けない
正直、2019年初めのベネズエラに関するニュースをよく読んでいた僕としては、こんな感じの悪い印象しかありませんでした。
だって「ベネズエラ、医薬品が足りない」「停電により、治療器が止まり、患者が命の危機」「水不足が深刻」とかそういう記事をよく見ましたし。また人口の1割以上が他国に移民しているベネズエラ。当然、医師不足だってあり得ると思っていました。
実際に病院について感じたこと
ざっと書くと
- しっかりと医薬品は整っているように見える
- 医療機器に関しては、最新には見えないが、別に古そうなわけでもない
- 電気も通っており、トイレの水もちゃんと流れる。でも蛇口が取られているところが多かった
- 衛生環境は良いとは言えないが、悪いとも言えない。日本の古い病院が、ちょっと崩れた感じ
- 金持ちだけでなく、お金がない人も来れる。治療費と入院費は無料らしい
かなり自分の想像のはるか上をいかれました。ニュースが伝えてた内容は、一昔前のことなのか、プロパガンダなのか。
ただ本当にいい環境かと言われると微妙な気がします。蛇口は取られて、洗面台が使えなかったり、窓が壊れてたり。かなり大きな病院でもこの状況なのか・・・という感じでした。
少しだけ医薬品、病院にいる人の経済レベルについて補足させていただきます。
医薬品について
2019年8月現在、首都カラカスはかなり年初の騒動からかなり回復しており、物も増えてきまています。実際に、スーパーにはモノが並び、薬局も機能しています。
実際、これまでであったほぼ全てのベネズエラ人が「今年の初めはモノが本当になかったが、今はモノがあふれている。しかし高すぎて買えない。」と言っていました。
平均的なベネズエラ人の月収は3~10USDと言われている現在、確かにマーケットとかに行くと「タオル1枚1USD」とか「靴1足12USD」とか当たり前です。給料は激安なのに、物の物価はそこまで安くない。薬局はちょろっとしか見ていませんが、同じような状態に見えました。
さて病院はどうなのか?
実はベネズエラでは、医療費は無料の様です(病院にいる複数の親からそう聞きましたが、詳しいことはわかりません)。この病院では、患者は皆子ども。子どもへの医療行為と、入院費は無料です。これが何よりもの救い。
先ほども言いましたが、今現在は医薬品はあります。この病院では、この医療費無料システムのおかげで、子どもたちはいい治療を受けることができているようです。
病院にいる人の経済レベル
先述の通り、医療費が無料のおかげで、あまりお金がない家族もこの病院にはいます。
ただ、無料なのは子どもの治療費と入院費。親の分は別です。
この病院では、カラカスの外から来た家族も多く、彼らには当てにする友人も仕事もありません。なので、親は病院の地べたで寝て、ご飯は、こういった家族を支援する基金と、募金で賄っているそうです。
困窮が続くベネズエラですが、ほぼ崩れている社会システムがギリギリ生きており、人々の温かい心によって、なんとかみんなやっているのだなと感じました。
病院で聞いた話
今回、バレンシア、ファルコンという2つのカラカス以外から来た家族と、カラカス在住の家族、そしてこの病院で子どもを亡くした女の子に、話を聞くことができましたので、ご紹介します。
また僕は、頭にバクテリアが増えてしまう病気の子どもの病棟に行きました。なので、これから紹介する家族は皆、同じ病気と闘っていると思ってください。
バレンシアからきた息子とお母さん
この家族は、お母さんと子ども7人の家族。一番上は15歳のお姉ちゃん。一番下は・・・聞き忘れた。笑
2017年、息子が8歳になった時にこの病気を発症。バレンシアにも病院はありましたが、医薬品がそろっておらず、それをそろえるには自費で購入する必要があったとの事。
そんな時、人伝え(と言ってたはず)でこのJM LOS RIOS病院で治療ができることを聞き、病気を発症した息子とお母さんだけカラカスに移ってきたそうです。
では他の6人の子どもはどうしているのか?
お母さん曰く、今は一番上の15歳のお姉ちゃんが、子どもたちの面倒を見ているんだとか。
おそらく近所の人も、彼女を手伝っているのかな?にしても偉すぎる。戦後の日本みたい。
すでに彼は3か月ほどこの病院に入院しており、5度の手術を成功させています。まだまだ手術は残っているようですが、かなり元気な様子です。
お母さんはバレンシアから出てきた身なので、カラカスに仕事がありません。今は病院の床で寝ながら、支援基金を使い生きているそうです。
彼の将来の夢は、医者か警察官になること。元気に病院を走り回っていましたし、この調子で回復して、少しでも早く夢をかなえてほしいです。
ちなみに大好物はバナナなしく、僕のバナナを美味しそうに食べてくれました。笑
お母さんもめっちゃ食べてました。
ファルコンから出てきた家族
彼らは、お父さんとお母さん、それから2歳の息子でした。
息子がいつここに来たのかは聞きませんでしたが、まだまだ頭が腫れており(この病気の特徴)、おそらく手術の回数も少ないと思います。
彼らも外から来たため、頼れる人も仕事もなく、普段は病院の床で寝て、基金や募金の力で生活しています。ただお父さんは警察官。お母さんは看護師として、ファルコンで働いていたようです。
「その業種であれば、カラカスで仕事を見つけるのは簡単なのでは?資格業や、政府の仕事だし。」と聞いたところ「ここベネズエラではそうはいかない。確かにほけでも働けるが、書類をそろえるのが難しい。ベネズエラの転職では多くの書類が必要なんだよ」との答えが。
正直、書類をそろえるのが大変というのは、システムが分からないので何とも言えませんが、とにかく仕事を手にするのは難しそうだということが分かりました。
本来、公務員や資格業の強さは「安定した職」。特に看護師は、「資格があればどこでも働ける」というのが、割と世界共通であるイメージです。でもそんな彼らでも、仕事を見つけるのが大変なくらい、ベネズエラは困窮しているのかな?なんて思いました。
また警察官の彼が言っていましたが、been図絵ら警察の腐敗は、すでに文化の様です。観光客などのカバンからいいものを見つければ没収する。それは当たり前だとか。恐ろしいですね。
ちなみに彼らも、僕のバナナをめっちゃ食べてました。
カラカス在住の家族
この家族は、お父さん、お母さん、そして1人の娘さん。
娘さんはここに3か月入院し、治療がすべて終わったので、近々退院するんだとか。
僕が出会ったときは、しゃべることができない状態でしたが、以前はちゃんとしゃべれていて、これから回復したら、またしゃべれるようになるらしいです。
退院したら、早く学校に戻って、友達と楽しい時間を過ごしてほしいですね。
ちなみにこのご家族は、この病院の近くに住んでおり、病院で寝ることもあれば、家に帰れることもあるとか。もちろん仕事も持っているらしいです。
はやり都市部に家があるのは、もしもの時に強いですね。
子どもを亡くした女の子
同じ病気で子どもを亡くした18歳の女の子にも会い、仲良くさせてもらいました。彼女は16歳の時に子どもを産み、その子は2歳で他界。僕が病院に来る僅か8日前のことだった様です。
今、彼女は、ここにいる家族の手伝いをしたりしていて、これからは・・・どうするんだろう?多分、働くんだと思います。
ただ、わずか8日前に子供を亡くしたとは思えないくらい活気に満ちており、子どもの話をする時も、一切涙を流しませんでした。また終始、他の子どもたちの相手をしたりしていて、本当に強い子なんだなぁ、と感じました。
おそらくまだ心の傷からは回復していないと思いますが、早く心から元気になって、楽しい人生を送ってほしいですね!
最後に
いかがでしたでしょうか?
こういった記事を書くのは初めてなので、上手にまとめることができませんでした。笑
僕はこの病院に行って本当に良かったと思っています。理由としては、
- ベネズエラで起きていることを知れた
- 病気と闘う子どもから元気をもらえた
- 親の力強さを知れた
- 人の温かさを感じれた
元々、保育士を目指していたくらい僕は子ども好きなんですよ!笑
今回の経験を通し、将来的には子どもを絡めたビジネスやサービスを生み出せたら、面白いんじゃないかな?なんて思えました。
また面白かったのが、僕はiPhoneXを利用しており、ポートフォリオ機能などいい写真を撮れることができました。するとみんな、「私と子どもを撮って!」とか言ってきて、写真を撮ってあげると大喜び。病院から帰る際も、今日退院した家族に、写真撮影をお願いされました。笑
こんな感じで、僕からしたら当たり前なことも、彼らからすると特別なこと。そして喜んでもらえることなんだなぁ、と思いました。皆さんも、写真を撮ってあげるだけでもして上げれると、喜んでもらえるかもしれません。(折り紙持ってったらもっと喜んだだろうなぁ)
中々ない貴重な体験をくれた友人、そして飛び込みの外国人を受け入れてくれた家族に感謝です。そしてこの記事を通して、少しでも多くの人に、ベネズエラの現状が伝わればうれしいと思います。
それではよい旅を!
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